舞台美術の変遷
日本における舞台美術の変遷は、日本古来の能、歌舞伎、文楽、日本舞踊などが日本の伝統的な舞台美術形式と一方では明 治以降西洋から来た新しい舞台美術形式の流れとが今日の日本における舞台美術の源流となっている。
歌舞伎は1600年ごろから始まったと言われるいるが、当初はそんなに凝った舞台ではなく、単なる演者が演じるエリアがあったに過ぎない。
17世紀の後半になると舞台らしき装置が出始めた。19世紀に入ってからは、舞台美術はほぼ現代でも見られるような、ごく一般的な緞帳のある定式舞台へとなっていった。また、劇場構造においては明治に入ってからは、西洋の文化影響を受け近代的な舞台機能へと移っていった。
明治の終わり頃からは、西洋の文化が次々となだれのように入り、舞台美術も大きな変化をみせ始めてくる。演劇においては新劇をはじめオペラ、バレェ、モダンダンス、ミュージカル、レビューなど、西洋の芸術文化が定着してきた。それと共に、舞台美術も大きな変化を見せ、近代的な様式舞台へと移って行く。こうした流れは現代の舞台美術の基本となり、脈々と受け継がれてきた。
日本の舞台美術は大きく分けて、二つの柱となっている。一つは、歌舞伎に見られるように日本古来の舞台様式と、もう一つは明治に入ってからの西洋式舞台様式である。
しかし現代ではそれが大きな変化を遂げつつる。科学の発達や、社会的文化の変容とともに、まさに放射状に自由な発想と創造へと広がりつつある。劇場形式もプロセアムアーチを排除し多元的、多目的な舞台形式となってきており、360度から観られるような円形舞台の劇場なども出てきている。劇場機構や設備もコンピューター化され、それに伴なって舞台美術装置も大きく変化をしてきている。このように現代では機能的なことも勿論のこと、表現方法そのものが多様化しつつあり、新たなる演出法も生まれている。舞台美術は時代の変化とともに新たなる技術の発想と表現の可能性をますます追求すべき仕事が必要となってきている。